2ヶ月前の話にはなりますが、ミュージックセキュリティーズの425祭で気仙沼に行った時のレポートです。
2日目はmadehniプロデュース!海をみながらスープで朝ごはんの後、バスツアーがありました。
madehniプロデュース!スープで朝ご飯 - "いい投資"探検日誌 from 新所沢
気仙沼エリア、南三陸エリア、陸前高田・大船渡・一ノ関エリアのいずれか一つを選ぶのですが、気仙沼に来たことはあってもちゃんと気仙沼を見たことがないという事で今回は気仙沼エリアを選びました。
気仙沼エリアの午前中はマルトヨ水産の清水さんの案内で被災地と工場見学という事で清水さんから今回のテーマは「復興に向けた光と影」という表だけでない被災地の姿を見て欲しいという内容になりました。
■ 鹿折地区
最初に向かったのは鹿折中学校のグラウンドにある仮設住宅です。
震災から3年がたってもまだまだ災害公営住宅が足りず仮設住宅で生活している人がたくさんいます。
本来はここは学校のグラウンドで子供たちが走り回ったりしている場所なんです。
子供たちが遊ぶ場所を提供すると言う人がいても造成するのに時間がかかったりしました。現在は山を下ったところにグラウンドがあります。
中学校は高台にあるため、仮設住宅がある周辺には家がある人が住んでいますし、他へ引っ越していった人との格差も広がっています。
復興が遅れていると言っても、ゼロで留まっている人と前に進んだ人の格差は広がる一方なんです。本人も言いたくないんでしょうけれども「家が残った人はいい」という事をつい言ってしまう現実があります。
3.11当日、ここまで大きな津波が来るとは思っていませんでした。
大津波警報が出たので近所の川を見てみると既に川上に向かって逆流が始まっていた為、下手に動くのも危険だと思いました。
隣のおばあちゃんが「家に戻ってお茶を飲むよ」と言っていたので「気を付けてね。」と声をかけたけれども、なぜあの時うちにおいでと言わなかったんだろうという悔みが残っています。
うちの3階に避難していましたが、家の前に電信柱が×状になっていて、流されてくるものもそこで止まったという幸運がありました。その後火事がせまってきたので夜に水が引いたタイミングで長靴をはいて山の上の方へ避難しました。
復興住宅ができても年金暮らしのため、みんなが住めるとは限りません。阪神大震災でもまだ仮設住宅に住んでいる人がいるのです。
鹿折地区には大きな船が流されてきていましたが、船が撤去されてこれまで来てくれた人も来なくなってしまいました。
震災を風化させない、忘れないと言いますが「何を?」と思います。結局「何か」がないと人は来なくなるんです。
陸前高田の一本松も賛否両論ありますが、そこにあることによって人が来るいう面もあります。
■ 杉之下地区〜岩井﨑
バスは鹿折地区から杉ノ下地区へ向かいました。
ここには地元の人が作った慰霊碑があります。慰霊碑には「絆」という文字と「あなたたちを忘れない」という文字が刻まれています。
ここは地域の避難場所に指定されていた高台で、多くのお年寄りと子供が避難してきていました。
「ここにいれば大丈夫だから」という言葉への悔み
「あなたたち」を忘れないんです。
この高台から自分たちの家が津波に飲みこまれる様子を見ていた人達の背後から、別の津波がなだらかな丘をあがってきました。
ほんのわずかの差で難を逃れた場所がありますが、陸前高田も同様に避難場所に避難した人たちが流されてしまいました。
バスは潮吹岩で有名な岩井﨑へ。
潮吹岩
波が岩にあたると潮を豪快に噴き上げます。
龍の松
震災の後、津波で被害を受けた松の一本が龍の形に見えるという事で縁起の良い龍の松と呼ばれています。
秀ノ山雷五郎像
岩井﨑にどっしりと建つ第9代横綱 秀ノ山雷五郎の銅像は津波にも耐え、いまでも海に向き合っています。東日本大震災直後の新聞などでも「津波にも”残った”」と取り上げられ、勇気を与えたそうです。
バスがマルトヨ水産へ向かう間にも清水さんから様々なお話がありました。
・復興事業について
防潮堤について海が見えなくなるというのはどちらともいえません。環境が変わってしまうと言いますが、港ももともとは埋立してできた土地だからです。
・地元の店
これまで半径100mの範囲でやっていたようなお店は顔見知りのお客さんしか来ませんでした。それが仮設店舗になって知らない人が入ってくるようになりましたが、最初はいらっしゃいませも言わないような状態でした。
そこで仮設商店街で新しいお客さんにどう向き合うか話をしました。気仙沼が今後人口が減っていく中でどうしていくのか。情報を発信していかないといけません。そういったことも話をするようになりました。
仮設のお店をやっているおばあちゃんに「明日もまた行こうと思う」と言われました。生きる希望とまではいわないが、光ができたことが嬉しかったです。
・ビジネスホテル
東京の資本でビジネスホテルもオープンしましたが、10年で撤退すると明言されています。そのあとは市が買い取り、資産が残ることになります。
工事の人向けにコンビニも多数出店していて地元の店が駆逐されています。でも、今の需要に沿った出店なのです。
■ マルトヨ食品(鹿折地区)
バスは再び鹿折地区へ。マルトヨ食品の建物にこの高さまで津波が来たことを表す表示が残されています。改めて見るとすごい高さです。
嵩上げは一大事業ですが、地元の業者はうるおっていません。結局東京の会社にお金が流れています。
現行法ではかさあげをしてからでないと土地を利用できないため、戻ってくる人がどれほどいるかわからないのに一律で5mのかさ上げをしています。かさ上げが終わった後、ゴーストタウン化が心配されます。
また、既に事業を再開した人も嵩上げの為に移転しないといけない事になりました。あくまでも事業を後押しするための支援ではないので、減価償却された後の資産に対して補償がされます。
うちの場合は建物や設備が古いので減価償却されてしまうとほとんど価値がありません。機能保障して欲しいと思います。
震災で流されたからというのは既に市場経済の中で意味をもっていません。外に売っていくには買う人の嗜好にあわせていく必要があるということです。
セキュリテのファンドも最初は自分がするとは思ってもいませんでした。阪神大震災の被災者と話をして、当時は発信することができず自分たちは3月のオウム事件で忘れられたと思ったそうです。でも、「今はSNSなどで発信することができる」と言われました。なので、自分がSNSなどで言い続けたいと思っています。
(感想)
被災地の実情をお聞きして復興に向けた歩みだした人とまだゼロのまま止まっている人の間のなんともいえないもどかしい想いが衝撃的でした。
そうはいっても復興に向けて歩める人は歩み続けるしかないですし、嵩上げによって新しく造成される工業エリアへ移転しないといけないというのもなんともいえない思いです。何かの縁で知り合いになったので私にできる事はこれからもマルトヨ食品さんを応援していくことだなと思っています。
杉之下地区も事前に指定されていた避難場所に避難した人達が被害に遭っています。陸前高田などでも同様のことが起きていたようですが、津波が来るときにはとにかく高いところへというのは慰霊碑にも書かれていましたが忘れないようにしないといけませんね。そして、今回の震災で亡くなられた方がいたという事も。
マルトヨ食品さんではさんまくんや魚の煮物など美味しいものが揃っていますので、興味のある方はマルトヨ食品さんま丸ごとお楽しみセットも買ってみて下さい。
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425祭レポート