2月25日(木)にマザーハウス本店で鎌倉投信のいい会社訪問がマザーハウス副社長の山崎大祐さんと鎌倉投信運用部長の新井和宏さんの対談形式で行われました。
いい会社訪問(マザーハウス)
日時:2016年2月25日(木) 20:00〜21:30
場所:マザーハウス 本店
まずはマザーハウスのものづくりについてです。
マザーハウスのはじまり
マザーハウスでは「途上国=可哀想」「途上国=貧しい」というイメージを変えようとしています。途上国にも素晴らしいものづくりが出来る人達はいるし、そういった人達の誇りを大切にしてものづくりを行っています。
新井:
最初にマザーハウスと山崎さんの紹介を簡単にお願いします。
山崎:
今日は鎌倉投信のお客様にお会いするのを楽しみにしていました。
なぜなら僕自身金融にいた人間で、ゴールドマンサックスにいたと言えば皆さんにはわかっていただけると思います。
すごく金融に問題意識を持ちながらエコノミストとして4年間働いていました。
ゴールドマンサックスで働きながら金融を変えていくのは難しいと思っていたら、後輩の山口と話す機会がありました。
山口は同じ大学の一つ後輩で、卒業してから彼女はバングラデシュに行っていました。
そこでバックを作り始めたんですが、「どうしたら売れると思う?」と僕の所に持ってきたんです。
それでバッグを売るための会社を二人で作ったのがマザーハウスの始まりで10年前の話です。
「途上国=可哀想」「途上国=貧しい」というイメージを変えたいと思い、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念の下、ものづくりでこんなに可能性があるんだと伝えながら売っています。
バングラデシュで作ったというと生産地を隠しがちですが、私たちはちゃんと生産地を明記して売っています。
新井:
『バッグの向こう側』という本がいいんです。
バングラデシュの職人さんたちがとてもいい顔をして働いているのを紹介している本なのですが、これはとてもいいですね。
山崎:
職人のいいところを見せたいと思って作りました。
みんなが輝いている姿を撮っています。
手作りの店舗
マザーハウスの店舗に行って気づくのは手作り感のある内装です。プロにお金を払って内装をお願いするのではなく、マザーハウスの社員が手作りで店舗の内装を行っています。これは初めての店舗である本店から始まったことですが、今でもものづくりの大切さをスタッフに実感してもらうため、続けています。
新井:
鎌倉投信もこのお客様バージョンを作りたいですね。
マザーハウスについては色々話したいことがあるのですが、最初に伝えたいことはお店の手作り感です。
本店の床の色が途中で変わっているのはなぜですか?
山崎:
マザーハウスのお店は百貨店など一部の例外はありますが、基本的に内装についてほぼ全部自分達で作っています。
最初はお金が無かったというのが理由だったのですが、作ってみたらこれが本質で、手でつくることに喜びを感じました。
なかなか全員がバングラデシュに行くことはできませんが、スタッフが作る想いを共有するために今もやっています。
本店はもともと半分の広さだったんです。
奥は事務所スペースで8年間、本店と事務所は同じ建物でした。
これはお客様に一番近いところにいるべきだという考え方でどの店も奥に事務所を置いていたのですが、今はお客様に少しでも多くの商品を見てもらうためにその考えは置いています。
ゴールドマンで働きながら1年半くらいマザーハウスを手伝っていた頃、事務所は僕の家でした。
入社した直後にお店を作ろうという事になって、東京中の手作りの内装だという店をまわってどうやったのか聞いて回りました。
店に入るなり商品も見ないでこれってどうやって作ったんですか?と聞くんです。
そうやって作り方を自分たちなりにやろうと思うと出来るんです。
今はスタッフみんなが出来るようになりました。
山口絵理子さんとの出会い
山崎大祐さんと社長の山口絵理子さんの出会いは慶應義塾大学時代に遡ります。入ゼミの試験官として始めて会った時の印象はパッとしなかったそうですが、ある一言がきっかけで合格になり、マザーハウスの創業へとつながります。
山崎さんから見た山口さんは「クレイジーなほどものづくりが好きな人」だそうです。
新井:
山口さんについてですが、大学にいたころとマザーハウスで一緒に戦ってきた経営者、デザイナーとしての山口さんを本に書いてないところでどう感じてますか?
山崎:
山口は小学生の頃いじめられていて、中学で非行に走り、強くなりたいと柔道初めました。
高校3年で日本で7番目になり、柔道の全日本合宿にも行っていますし、当時ヤワラちゃんとも戦っていました。
そこで自分は柔道をやりきったと感じて、今度は教育の世界を志すようになります。
自分はいじめられていたけれども、そんな自分でも学校にいきたいと思えるような学校をつくろうとしたんです。
偏差値45から頑張って大学に入りました。
AO入試です。
山口は大学では目立たず、一人で黙々とやるタイプでした。
僕は竹中平蔵ゼミにいたのですが、入ゼミ試験の面接で始めて会った印象がパッとしなかったので彼女を落とそうとしていたんです。
でも、最後の質問で「あなたの夢はなんですか」と聞いたら「総理大臣になって世界を変えることです」と答えたのを聞いて面白いなと思い、合格にしました。
口は達者でないし、隠れて勉強しているようなところがあったのですが、少しずつ話してるうちに白熱した議論するようになりました。
僕はマクロな方なので大きなところを変えようとしていましたが、彼女は現場を大事にするんです。
一度、「あなたは難しい事は知っているけれども愛がない」と言われました。
ドキっとしました。
本質を突かれたんです。
山口は「貧困ってなに?」というような難しいけれどもそういう本質を問う人です。
本田宗一郎みたいにクレイジーなほどものづくりが好きな人です。