東京の森nightレポートの後半はヒノキで家具を作っている木工房ようびの大島さんのお話です。西粟倉には度々行っていますが大島さんの家具づくりに関するお話を聞くのは初めて。楽しみにしていました。ようびの家具は憧れなのです。いつか買うぞ!
第一部 東京・森と市庭の竹本さんのお話はこちら
世界の森と東京の森 東京森と市庭 竹本さん〜東京の森nightレポート(1)
【東京の森展 Special Event】東京の森night
日時:2015年2月23日(月) 18:30〜
場所:CASE gallery
主催:株式会社東京・森と市庭
第二部:森とつながる家具
木工房ようび 代表取締役
大島正幸さん
家具職人として山と出会う
ヒノキで家具をつくっています。皆さんは丁稚奉公という言葉を知っていますか?無給の代わりに食事と宿は提供されるという住込みでの修行の形です。
私は栃木出身で岐阜県の家具職人に丁稚奉公しました。その条件が無給で2年、宿無し、飯無し、技術しか教えないというものでした。ここまでするのは逆にすごいなと思い、家具を作りたくて弟子入りしました。お金が無かったので当時は100均で一番長持ちするろうそくを買って一晩1本で生活していました。
その後家具メーカーでデザインと職人として4年半働き、西粟倉村に出会いました。人口1500人の村ですが、鹿は3000頭います。この村で平成の大合併の時、合併せず森林資源を使って生きていく選択をしました。小さな村のほとんどに木が生えているのですが、山主さんはA3のコピー用紙に書ききれるくらいの人しかいません。そこで、村がまとめて森の木を管理する政策が行われることになりました。
西粟倉に見学に行った時、家具職人は山を知らないことに気づきました。いつも木を触っているのにずっと工房内にいるので筋肉質で明るいひきこもりなんです。山主の延東さんの話を聞いたら立派に育った木は高すぎて売れないと言われました。じゃあ神社などで使っては?と聞いてみたら神社に使われるような木は樹齢200〜300年くらいでまだまだ時間がかかるという事でした。ただ、木にも寿命があるので今売らないといけないのだそうです。
おじいさんから3代にわたって継いでやってきた山です。延東さんも高校時代、同級生が海に遊びに行っているのを横目に山仕事をしてきました。郵便局員としてのボーナスもほとんど山に費やしています。その話を聞いて自分はなまけていたなと思いました。
そして森に生えている丸太を椅子にして使いやすい形にするのが僕らのやることだと思い、次の日には会社に辞表を出しました。
社長にはひどく怒られましたが会社を辞めることができたのですがもう一つ問題がありました。当時結婚を前提につきあっていた彼女がいたのです。それで親御さんのところへいって「娘さんを僕に下さい」とお願いにいきました。「わかった。」と親の了解は無事取れたのですが、「じゃあ一緒に来てくれる?」と彼女に言ったら「保留」と言われました。それでまずは一人で西粟倉村に移住することになりました。
ヒノキの家具が世界へ
余剰木材と言われていますが、世界中でヒノキは台湾から福島の間でしか生えない木です。そういう意味で世界的には貴重な木なのです。
ヒノキを使った家具はいままで無かったのですが、それは西洋に生えていなかったので作ってみた人がいなかったのです。日本ではなぜ使わなかったかというと、軽くて柔らかいので家具に向かないのです。前職を辞める時、同僚のほとんどが「がんばれよ」ではなく「ヒノキで家具なんて出来ないから止めておけ」と言いました。そのくらい常識では考えられない事だったのです。また、外材のほうが安いという理由もありました。西粟倉に移住して1年3ヶ月くらいソフトウッドで家具をつくる仕組みを研究しました。
結果的に8種類の仕組みを作り、うち1つは特許を取りました。奥さんが西粟倉に連いてこなかったのには理由がありました。遊ぶようなところもない西粟倉で起きている時間を研究に費やすと1年で2.8倍の研究ができるのです。今では78種類の椅子を作るようになりました。デザインは北欧のものを基本にしています。ようびでは1年で1名正規雇用を生むという事を目指していてデンマークの家具会社とセッションをしながら作っています。
SAANAが設計した岡山大学のJテラスカフェのベンチもようびが手がけています。
物語を届けるしごと » 人が集まり、対話が生まれる場所 「 J Terrace Cafe」 SANAA
ヒノキは世界から見ると貴重な木でした。CIPANGOで世界に紹介したところ様々な国から注文をいただきました。その中でも特にアフリカからの反応が一番よかったのです。エジプトから注文した人にどこが良かったのか聞いてみると砂漠の中に真っ白な椅子があると映えるだろうと言われました。
ようびの新しい挑戦
ようびは東京工房を始めます。ヒノキの家具ができる実績はできたのですが、10年後には10年経過した家具の方が新しい家具よりもきれいになると思います。家具を使い込んで育てることで財産化していくのです。世代を超える家具を体感できるようにしたいのですが、西粟倉は辺境にあるのでなかなか来てもらえません。
そこで世界的な経済都市である東京という完成された都市の近くにも工房を持つことにしました。大量生産・大量廃棄ではなく質を追求します。1年のうち10か月を西粟倉で過ごして東京に2ヶ月やってきます。工房の全員がです。
うちはみんなで一緒にご飯を食べながら仕事をしています。紅の豚に出てくる工房が楽しそうだったのはみんな笑顔だったからです、うちの工房もあんな工房を目指しています。東京で新しく人を雇った場合、一緒にいない彼らはきっとグレてしまいます。なので西粟倉から全員が東京に移動してくることにしました。
今年は7月にやってきます。ワークショップなども開催しますので是非皆さん遊びに来てください。
懇親会
お話を聞いた後は治助いもや山女の燻製、鹿肉など奥多摩の食材を使った料理を食べながらの懇親会でした。
鹿肉、豆腐の味噌漬けを肴に奥多摩の地ビールや日本酒を飲みながら話して来ました。
東京の森展の展示スペースにはプレ展示初日に行った時にはまだなかったウッドカヌーもありました。
かっこいいんですよね〜。いい季節になったら奥多摩でカヌーにも乗ってみたいです。