前回 はこんな話題でしたね。
日本に投資を文化として根付かせるために何が必要か?
まろさんは、歴史的な側面から「日本には投資も貯蓄も文化として存在しているが、今がたまたま貯蓄の意識が高めに出てきている時代」との見方を示されました。そのうえで「日本に文化として根付いていたはずの投資はどこへいってしまったのか?」という疑問に展開されました。
前回のまろさんのご説明で印象的だったのは、奈良時代のお話。
当時の社会にとって必要なインフラを整備するために「投資」の概念があったこと、またそこに、投資家側にとって「善行を積める、徳を積める」という精神的なリターン(と呼ぶべき?)も想起されていたということは、なるほどなあ、と感じました。
この歴史にヒントを求めるならば、「投資を文化として根付かせるため」に、必要なことはこんなことかもしれないな、と感じました。
投資を受ける側、資金を託される側、つまり、株式を発行する会社が、積極的に、真摯に次のようなことを伝える努力を重ねることです。自分たちの社会的な存在意義、企業活動によって社会にどんな貢献を実現しようとしているのか、その事業年度で何をやろうとしているのか、過去の事業年度で計画して実現できたこと、計画したがまだ実現半ばのこと、計画したが頓挫してしまったこと、これらに加えて、これらの行動の結果、どんな業績となったのかを丁寧に伝えようと努力を重ねることです。
もちろん、投資を受ける側、資金を託される側だけの課題ではありません。
投資する側、資金を託す側、つまり、投資家も、真摯に伝えようとする会社の声に耳を傾けなければなりません。
会社の努力が投資家に伝われば、その会社に投資している投資家は、株主であることを「誇らしい」、「投資を通じて社会に貢献できている」と実感できるのではないでしょうか。上述の精神的なリターンに通じるものがあるように思います。
株式を発行する会社と投資家との間に、このような「関係」をじっくりと築き上げること。
こんな「関係」を育てている会社、投資家が増えれば、自ずと投資は文化になるのではないでしょうか。
これは株式投資に限った話ではありません。お金を託す、託されるという関係で言えば、寄付もそうでしょうし、日々の消費行動にもあてはまるケースがあると思います。
お金を託す、託されるという「関係」を、もっと深く、濃密なものにできるか、これがポイントでしょう。
こうした「関係」を沢山生み出す触媒となるのが「投信会社」「ファンドマネジャー」だと考えています。非常に大きな可能性を秘めているはずです。
さらにもう一つ思いつくのが「クラウドファンディング」。
ですよね?、m@さん!
renny
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