いい投資探検日誌(from 八女)

しあわせをふやす いいお金の使い方を考えています。サステナブル投資家。2017年に新所沢から八女に移住しました。週末は一口馬主を楽しんでます。

いい会社の理念経営塾(4) 鎌倉投信 鎌田恭幸氏 前編

NPO法人いい会社をふやしましょうが主催する「いい会社の理念経営塾」の第四回目が8月6日(水)に開催されました。今回の講師はいい会社をふやしましょうの理事も務めている鎌倉投信の鎌田恭幸氏。「いい会社をふやしましょう」を合い言葉にいい会社に応援の気持ちを込めた投資信託を運用している会社の創業社長です。

まだ自分は成功した会社の代表ではないという謙虚な姿勢と、つい最近まで志や夢といったものを本当の意味で持っていなかったと振り返る姿に正直な人だなというのと、目指す姿に向けて精進している気持ちが伝わりました。

鎌田さんの話を鎌倉投信や結い2101以外でじっくり聞く機会がこれまで無かったので、どういう風な経緯で創業されたのか、そしてどこを目指しているのか深く伝わった講演でした。

「成功する人は平凡な人が平凡にやることを非凡にやり続けた結果、成功しているのです。」凡事徹底という事なのだと思いますが、これって本当に大切な事なんですよね。自分もまだまだ苦手とするところなのですが。

少し口に出すのを躊躇ってから「世界中を見渡した時大きな問題として、日本が低迷した原因の一つは金融に関わる人の精神性の欠落だと思います。」という事を話したのは偽りのない気持ちだと思いますし、金融を通じて祈りを捧げる生き方をしているという表現がしっくり来ました。

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いい会社の理念経営塾 組織を動かす”ふつう”の人たち

日時:2014年8月3日(水)
場所:3×3 Labo
主催:NPO法人いい会社をふやしましょう
講師:鎌田恭幸氏 鎌倉投信代表取締役社長

 

振り返ってみるとサラリーマンを20年やっていた頃、私は志や夢といったものを本当の意味で持っていませんでした

江口(NPO法人いい会社をふやしましょう理事長):今日のポイントはいつくかありますが、創業者だということ。
創業にあたっての理念の作り方やゼロベースからの組織のつくりかた、ビジョンの作り方についてお話いただきます。起業でなくても会社の中で新しい組織を立ち上げる際、本気のスイッチの入れ方が役に立つのではないかと思います。

皆さんの中には現場は現場でこの社長さえ変われば、社長は社長でうちの従業員さえ変わればという両者の隔たりがあると思いますが、今日は社長であるが故の悩みなど聞ければと思います。

 

鎌田(鎌倉投信株式会社 代表取締役社長):私はこのNPOの理事もしていますが、投資信託という金融商品を運用している鎌倉投信を経営しています。鎌倉投信では日本にある「いい会社」に厳選して投資をして、いい会社がいい会社である限り保有しつづける「共に歩む」投資を行っています。

リーマンショック直後の2008年11月、まだ世界中の金融が混乱している最中に創業をしました。営業を始めて4年ちょっとで、まだ成功しているとは言えない駆け出しのベンチャー企業です。

ですので、今日は成功者として語ることは何一つとしてありません。
鎌倉投信もベンチャーの真っ最中で成功体験と呼べるようなものがないからです。

今日は普通のサラリーマンがなぜ鎌倉投信という会社を立ち上げ、何をして、今何に苦しんでいるのか?その過程で何を達成し、これから何を見ようとしているのかをお話しさせていただきます。

振り返ってみるとサラリーマンを20年やっていた頃、私は志や夢といったものを本当の意味で持っていませんでした。会社の立ち上げをした時であっても本当の意味では持っていなかったと思います。

私の志や夢は創業してから今までの間に徐々に醸成されてきたというのが本当のところで、もちろん追いかけていなかったわけではないのですが、それが何かわからず、サラリーマン生活20年で彷徨った結果としてたどりついたのが鎌倉投信なのです。

様々な成功している会社の人と出会い、私が本気でいると周りが応援してくれるようになりました。今日はその中でいろいろと学んだことをお話ししたいと思います。

考え方の変遷を話す前に簡単に鎌倉投信の概要をお話しします。鎌倉投信は営業開始から4年ちょっとでお客様が8000人になりました。その間、広告宣伝は行わず口コミでやってきましたが、純資産額も3億円から100億円にまでなりました。

日本にあるいい会社に投資すると言いながらパフォーマンスもきちっと出す必要がありますが、今のところ市場平均よりもかなり良い成績を残しています。年率換算でいうと10%ほどです。

この実績を踏まえてテレビや雑誌で取り上げられるようになりましたが、いまだ成功というわけではありません。

 

成功する人は平凡な人が平凡にやることを非凡にやり続けた結果として成功しているのです。

鎌田:成功を遂げた多くの人を見て思う事は「すべてはたった一人の想いから始まっている」という事です。

ソフトバンクの孫さんもHISの澤田さん、パソナの南部さんもみなさん天才的な人ではありません。失礼を承知で言ってみれば凡人なのですが、誰でも思いつくような発想で始めていたとしても、成功する人は平凡な人が平凡にやることを非凡にやり続けた結果、成功しているのです。

なぜ成功したんですか?とお聞きすると、大抵の方は運が良かったとおっしゃられます。私に言わせると、運が開けるまでやりつづけた結果だと。その一点において真理があるのではないかと思います。

「あきらめないうちは成功へのプロセスだ」という松下幸之助の言葉もあります。ある一面で感じることは、皆さんがあまりにも自然体で誇示するようなスタンスが全くありません。

私自身も経営していて思いますが、最近わかるようになったのは自然体が一番強いからです。その人の力を一番引き出すのが自然体で、本来持っている自分を深く深く知っている人は揺らぎません。ありのままを磨けという事です。

最近、アナと雪の女王でLet it goがヒットしていますが、自然体は理想型であり、そこに至るための道を開くために努力が必要なのです。

私はまだ日々訓練をしている最中ですが、成功者からそれを学ばせていただきました。

 

お客様に奉仕をするのが社是で、入社式の時にその話を聞きましたが、以後在籍した11年間で一切その言葉を聞くことはありませんでした。

鎌田:私の生い立ちをお話します。島根県大田市という田舎に生まれ、父親は農業をしていて母親は町の小さな雑貨屋をしていました。振り返ってみると商売をやっていた母親の姿が自分に影響を与えている、その時の感覚が自分にしみついているんだなと思うようになりました。

地元の高校を出て東京の大学へ行き三井信託銀行へ入行しました。高校は募集倍率が0.95倍という誰でも入れるような高校でしたし、東京の大学でもテニスとアルバイトしかやっていませんでした。

就職も特に何も考えず、たまたまテニスサークルの先輩が三井信託銀行にいたのでお前も来いと声をかけられたものです。それが1988年で、入ってからは一生懸命仕事をし、1999年BGIへ転職し、2008年1月にBGIを退職してその年の11月に鎌倉投信を創業しました。今思うとBGIを辞めてから創業までのこのブランクが重要な意味をもったのだと思います。

銀行に入った当時、志などはほとんど考えていませんでしたが、銀行に入った瞬間に悩み苦しむようになりました。自分は何の為にやっているんだろう?と。与えられた仕事は一生懸命やって評価され、知識経験は身に付きましたが、忙しいしモチベーションは上がったものの、根っこの部分で満たされなかったので転職しようと思いました。転職はしようと思ってすぐしたわけではなく、しようと3回目に思った時に背中を押す何かがあったのです。

三井信託銀行の社是は「開拓と奉仕の精神」というものでした。お客様に奉仕をするのが社是で、入社式の時にその話を聞きましたが、以後在籍した11年間で一切その言葉を聞くことはありませんでした。立派な社是も社長室に飾ってある看板に過ぎなかったのです。年初の薫陶では今年はこれで儲けるぞという話ばかり。しかもお客様ではなく、自分たちがです。それに耐えかねました。

BGIに転職した理由は金融知識を磨きたいというスキルベースでの理由でした。当時のBGIは世界中で250兆円くらい運用していた会社で、そこで金融工学の知識を磨きました。金融工学を学んで日本に導入する仕事はやりがいがありましたが、2000年以降急に利益を求める風潮になった事もあり、会社の統合合併を期に辞めることにしました。

その時初めて何のために、自分はこれから何をするのかを深く考えました。

 

「僕らは一生懸命やってきたけど、社会の役にたったんだろうか?」こう問いかけると、彼は黙ったまま答えることができませんでした。

鎌田:魂を売ってまで高い給料をもらうのか?組織を離れて金融にはもう二度と戻るまいと考えていました。

その中で漠然と思ったのは社会に貢献できることはなんだろうという事で、社会貢献されているいろいろな方と話をしました。皆さん様々な事に取り組まれているけれども、金融が健全に機能しないと社会に広がっていかないという事を知りました。

だったら自分はそういう人をサポートするような金融の枠組みはできないか?と考えたのです。

2008年1月にBGI時代の同僚に自分の想いを話しました。そのうちの一人が運用責任者の新井和宏です。当時、新井はグローバルなマーケットで2兆円くらい運用していましたが、ストレス性の難病を患っていて、彼自身も二度と運用の現場には立たないと決めていた時期でしたが、彼にもう一回運用をしようと悪魔の囁きをしたのです。

彼とは特に親しかったわけでもないのですが、なぜ彼に声をかけたかというと、あるお酒の席でポツリと「自分は本当に社会の役に立つ仕事をしたいと思っている」と話していたのを覚えていたからです。

それで一緒に運用するなら彼だと恵比寿の立ち飲みバーで飲みながら誘いましたが彼には「無理だ」と断られました。「僕らは一生懸命やってきたけど、社会の役にたったんだろうか?」こう問いかけると、彼は黙ったまま答えることができませんでした。

それからしばらくして出会ったのが『日本で一番大切にしたい会社』という本です。彼はこの本を手にして懺悔しました。自分はこのような会社を応援したり支えたりといった事をやってこなかった。もしこのような会社を応援できるようなファンドができるならやろうと言ってくれたのです。

新井が鎌倉投信に加わってくれるきっかけはこのようなものでしたが、今ではすっかり病気もよくなりました。僕は苦労で白髪がふえましたが・・・(笑)


もしも鎌倉投信が将来成功したのであればその理由を間違いなくこう答えます。「奇跡的にこの三人が揃ったから」

鎌田:創業メンバーで鎌倉投信の中を完璧に支えてくれているのが塚本さんと平口さんです。運用において本当に大切なのは、彼らが担当している守りのオペレーションです。

会社をつくる半年前に何をするのか4人で徹底的に議論しました。合宿をして、いろんなビジョンを画に描いたりもしました。ドラッカーが重要なポイントにマネジメントチームをいかにつくるかと言っています。

まだ成功した会社ではありませんが、もしも鎌倉投信が将来成功したのであればその理由を間違いなくこう答えます。

 「奇跡的にこの三人が揃ったから」

事業をたちあげる時、走りながら考える人も少なくないですし間違いではありませんが、新しい事業の時は徹底的に何のためにやるのかを考える必要があります。そしてこの人とならやれるという確信を持てる人とやることです。

誰とやるか、そのうえで何をやるか、何のために。根本を一生懸命考えます。

他の要素としてはタイミングがよかったというのもあります。
たまたまではありましたが金融がどん底のリーマンショック直後に起業しました。

鎌倉投信はそれだけではありませんが、私の退職金が資本金になっています。
当時、私は代表権を持っていましたのでリーマンショック直後だとBGIを辞めることができなかったと思います。もし辞めるのが半年後だったら鎌倉投信は存在しなかったという事です。

結果としてそうだったのですが、自分の中でそういうことが起こりえると予感していたのかもしれません。これ以上の金融は限界だと感じて、予見はできないものの直感を信じたのがあてはまったと言えます。

成功要素をもう一つ言うと自分が素人だったという事もあります。
こういう金融は難易度が高いと周りの人に言われましたが、この事業がここまで難しいとは思っていませんでした。

本当にやるの?と散々言われ、黒字化に10年かかると知っていた他の3人と違って自分にはやればできるという素人感覚がありました。もし、自分もその大変さを知っていたとしたら起ち上げる事ができなかったと思います。素直にやりたいことをストレートに表現できたのが、たまたま専門家を集めることにつながりました。

点と点が一緒に集まった時だったのです。


毎朝自分は何の為にたちあげたか繰り返し考えていると、腑に落ちた瞬間がありました。

鎌田:「自分は金融を通じて平和への祈りを捧げる」会社から自宅への帰り道の途中で思いついた事です。

金融がどん底の時に株式に投資するような事業をやろうとしたので「お前は絶対成功しないからやめとけ」という時代です。

しかも黒字化するのに何年もかかるような事業を鎌倉で、駅から徒歩20分の道に迷うようなところでやろうとしていたのです。「いい会社に投資したって社会貢献じゃないんだぞ」とも言われました。

いろんな銀行を回っても取引口座を開けてもらえず、その時の事は今でも覚えています。そんな中、同業から無謀だと言われたのは褒め言葉だと気づきました。

仲間が無理だよというくらいの事をしないと新しいことは生まれません。

 「世の中の常識を疑え」

常識からは新しい物はうまれないのです。

経済が順調に成長する時であれば良かったのですが、過去の延長線上に成功法則を見つけても将来がそうなる事はありえない時代です。他人から変った人だと言われることを新井は愛を込めて「変態」と呼んでいますが、そういう感覚が大事です。

鎌倉投信を立ち上げても、もうまくいかず苦しんだという意味では毎日不安だったといっても過言ではありません。特に起業から1、2年はそうでした。そこで、毎朝自分は何の為にたちあげたか繰り返し考えていると、腑に落ちた瞬間がありました。

「自分は金融を通じて平和への祈りを捧げる」

会社から自宅への帰り道の途中で思いついたのです。自分はそういう生き方をしようと。

自分の勝手な決めごとにしていましたが東日本大震災の時に確信に変わりました。
震災の後、株式市場は2日間暴落して20%下がりました。そんな中結い2101は10%の下落で済みましたが、こういう時大方の投資行動は慌てて売り逃げる人が多いものです。

でも、結い2101では全く違う投資行動が見られました。買って下さるお客様が圧倒的で売る人は皆無、さらにお客様から励ましのメールや手紙がたくさん届きました。「大変なときこそ支えたい」そういう想いをたくさんいただき、祈りにも近いお金だと感じたのです。

そういうお金を預かっている以上、私も投資先の社長に宛てて手紙を送りました。
その後、投資先の社長から手紙が帰ってきて、その中にはお客様へ伝えて下さいというメッセージも含まれていました。

お金に色はありませんが、使う人の色に染まるのです。
それが本当の価値です。

 

世界中を見渡した時、大きな問題として、日本が低迷した原因の一つは金融に関わる人の精神性の欠落だと思います。

鎌田:自分の幼少体験として自分の体の中に「お金は命である」という言葉が染みついています。母親の商売の体験から得たものですが、一生懸命命を削ってためたお金をあずかっている祈りと言えるようなお金だと思っています。

金融の本当の意味での役割として、お金を増やしながら同時にいい会社を増やしていくことにチャレンジしています。

いい会社とはなんでしょうか?
創業前にみんなで議論した定義は

「本業を通じて社会に貢献する会社、会社に関わる人が幸せだなと感じる会社」

でした。そういう会社をとにかく増やしたい、知名度や給料だけ高い会社は本当にいい会社とは言えないのではないかと思います。なぜなら本当の意味で生かされていないから。

真に人のためにという会社がいい会社です。

鎌倉投信の社屋は鎌倉にある築85年くらいの古民家です。初めは長らく人が住んでいなかったのでぼろぼろのあばら屋で動物が住んでいました。鎌倉ですのでリスやあらいぐま、ハクビシンなどには出て行ってもらって家屋を修復して拠点にしました。

なぜ鎌倉だったのですか?とよく聞かれます。

一言で言うと価値観を表しやすいところだという事です。
鎌倉は幕府やナショナルトラストがはじまった土地でもあり、古くから新しいものがはじまる場所でした。

ここで事業をする以上、創業理念はぶれようがありません。
志を曲げることはできないので共感するお客様が集まっているのです。

そうしていくら儲かるかという人は寄ってきませんが、いろんな人が集まってくれます。いろんな人が集まる場を作るというのも私達が目指した姿でした。つながりのある投資の形をつくっていこうとしています。

世界中を見渡した時、大きな問題として、日本が低迷した原因の一つは金融に関わる人の精神性の欠落だと思います。

大切なお金、預金が700兆円もあるのに経済社会の中で生かされず、企業産業も支えていません。そういうお金を生かそうとする金融マンが乏しいのです。
日本はお金がないわけではありません。

例えば、東日本大震災を自分の問題だと考えた金融マンは少数です。
ゼロ金利が20年間ということに対してどれだけ真剣に向き合ってきたのか?
例え0.5%でも金利をつけようとファイナンスできるのであれば10年でどれだけの価値が生まれたでしょうか。700兆円の0.5%でも1年に35兆円です。

一人一人が真剣に向き合わないと新しい日本はなかなか再生しないだろうと思います。

この考えをみんなで議論して出しました。
きっと自分一人では考えられなかったと思います。

 

「いい会社に投資する」「いい会社がいい会社であり続ける限り投資し続ける」という事はいい会社を多くのお客様に知っていただくと同時に、信頼に根差したお金の循環と顔の見えるつながりのある金融の姿であり、それをやり続けています。

鎌田:創業メンバー4人で議論していくうちに母親が商売をしていたDNAが自分の中に呼び起こされました。

小さい頃、当時は気づきませんでしたが母親は365日お店を開けていました。
なんで毎日開けるの?と聞くと、こんな狭い町の中で1軒しかない店が閉まっていたら困る人がいるでしょと。それだけのために365日、1日の休みもなく毎朝4時に起きて店を開けていました。
また、行商に行くときはそこの家族へのちょっとしたお土産としてお菓子などを持っていきました。そのお土産を子どもの頃は勿体ないと思っていましたが、家族構成に応じて喜んでもらおうという母親の気持ちの表れだったのです。

他にも商売は通い帳というツケでいうなれば信用商売をしていました。
それにはお客様を信用するという信頼がベースになければいけません。信頼こそ貨幣なのです。

お金はお金だが、信頼がなければ価値はありません。

現金で仕入れて信用で収入なので家は貧しく、高校、大学と奨学金で生活しましたが自分自身で不幸だとは思いませんでした。
一方で100円の重みは感じていて、お祭りなどでおこずかいに300円をもらって何に使おうか楽しみにしながら夜店に向かう途中躓いて落としてしまったりしようものなら世の中が終わったかのような感覚になりました。それでも泣きながら家に帰るとまた100円をくれたものです。

そのような感覚なのでお客様からお預かりしたお金はおろそかにできないのです。 

「いい会社に投資する」
「いい会社がいい会社であり続ける限り投資し続ける」
という事はいい会社を多くのお客様に知っていただくと同時に、信頼に根差したお金の循環と顔の見えるつながりのある金融の姿であり、それをやり続けています。

 

会社はトップの器以上には大きくならないと言います。残念ながら鎌倉投信は私の器以上には大きくならないのです。

鎌田:みなさんと取り組んでいるのが受益者総会で、年に一回総会という形で投資先の社長さんに来ていただいて講演していただり、投資先の会社の企業展示を通じて皆さんからお預かりしたお金はどういう会社に投資されているかを見ていただいています。

昨年開催した京都の国際会館では第一回にも登壇されたAPカンパニーの大久保さんにもお話いただきました。鎌倉の建長寺でも開催しましたがその時は400人、昨年の京都は600人くらいのお客様に来ていただきました。

なるべく多くのお客様にこういう場に参加していただき、どういう人がトップなのか知っていただきたいと思っています。リーダーの話を聞くということは勉強になるからです。

会社はトップの器以上には大きくならないと言います。
残念ながら鎌倉投信は私の器以上には大きくならないのです。

上に立つ人は徳がないといけません。
上に立つ人というのは社会を動かすような役回りの人のことです。

どうしたら徳をつめますか?と質問したところ「簡単だ。人のために時間を使いなさい。」と言われました。この答えを聞いて深い言葉だなと思いました。短い時間であれば人のために使えるけれども、やり続けるのは本当に大変なことだからです。そうでないと人はついてこないし、言うことを聞きません。

その人は毎朝5:45に出社して8時までに社長の仕事をして、8時からは他の人のために時間を使っています。それぞれ個性はあると思いますが共通の軸があるように思います。

1.使命感
使命感とは人それぞれに役割があり、それを信じるということです。何をやりたいのか知っているということは天命を知るとも言えます。そうした人は高い判断能力を持っています。なぜかというとぶれない軸があるからです。

ぶれない軸があると時間の使い方も変わってきますし、付き合う人も変わります。そうした使命感を持とうという努力が大切です。

使命感にはどう気づけばいいのでしょうか。鎌倉投信の株主でもあり、世界銀行の元副総裁だった西水美恵子さんは毎朝鏡の前で自分の目の奥を見つめるようにしています。

アフラック日本支社を始められた大竹さんは毎朝鏡の前である言葉を唱えます。

「今日という一日は人生において最も大切な一日である」

今でも毎日が最も大切な日という気持ちで真剣に仕事に臨んでいるので秘書の人は「迷惑なんですよね。少しは手を抜いて欲しいくらいです。」と笑っていました。

私は自分が大切にしたいと思っている言葉をイメージしてから出社するようにしています。

「愛、感謝、誠実、笑顔、太陽、光」

それでそういった言葉のイメージを身にまとうのですが、心を洗う時間が必要だと感じています。成功されている方は心の洗濯を一日の終わりにやっている場合が多いのですが、私の場合は朝にやっています。

2.学び続ける
勉強熱心でなくてはいけません。経営者の方を前に話すのは思考のイノベーションとは自分の可能性を知ることだという事です。自分はこうだよなと思っているのは実は自分の潜在能力の5%くらいしかありません。そういう固定観念を持ってしまっているところから本当の自分はもっと輝く原石なんだと気づくことが必要です。

今日はたくさんの人が来られていますが、同じ私の話を聞いても100人それぞれ感じることは違います。それは100人の私がいるのと一緒なのです。同じように、皆さんにも100人の自分がいるのです。

いろんな可能性がある。それを信じることが大事です。

3.謙虚
学ぶ姿勢をもつためには謙虚である必要があります。辛いことであっても常にありがたいという謙虚な気持ちを持つ、そうありたいと思っています。

サラリーマン生活20年の中で苦悩していたと話しましたが、その20年があるから今があり、決して遠回りな時間ではなかったと思っています。自分は知らない存在だと理解することでいろんな人が教えてくれるようになります。

「敵こそ我が師」という言葉がありますが、苦言を呈する人を周りに置くことも重要です。だからといってその人を好きになる必要はなく、苦言を言う存在になってもらうのです。

4.愛
そうやっていくと人や自分を愛する感情になっていくと思います。素晴らしい人達は世のため人のためという感覚すら持っていません。人の為にと言うことはエゴでもあるのです。

5.行動で語る

できることを一歩踏み出してみることが大事です。やり続けている人の周りにはいろんな人が集まるようになります。やろうと思えばできるのですが、問題はやるかどうかなのです。

 

目標目的を持って生きるのもいいのですが、大抵うまくいかないものです。いろんなものを一生懸命やって、楽しいと思うことを突き詰めると、点と点が面になる瞬間がやってきます。

鎌田:本物の人と言いますが、本物ってなんでしょう?最近思っているのはすごいことをした人を本物と呼ぶのではなく、大小関係なく心と頭と行動が無意識で一致している人を本物と呼ぶということです。

それは自然体で揺るぎないものを持っているという事です。すぐにそれが身につく人もいれば、時間のかかる人もいます。私はようやくスタートに立ちましたが、無意識下の自分を作るように意識づけてきた人達というのはリーダーとしてしっかりした人格をもっています。

平凡なことをコツコツと続けるのです。

いろんな人がいろんなことをやっていますが、私が心がけていることは朝は4時に起きて散歩しています。瞑想しながら森を歩くことで感謝ではじまり感謝で終わる一日になります。振り返りの時間は3分。今日一日楽しく過ごしたか、よりよく人を喜ばしたかを振り返ります。

出来ているかできていないかを別として、心を込めて声をかけるようにしていますが、手紙を書くという事も有効です。手紙は感謝の気持ちを伝える上ですごく大きな効果があります。出資いただいた多くのケースは手紙で私たちのやりたいことや感謝の気持ちをお伝えしました。

失敗を重ねること、そしてそれを経験値に変えることも大事です。躊躇したり戸惑うのは失敗への恐怖感から来るものです。でも、失敗を重ねて慣れることで失敗を成長の経験値にすることが出来るようになります。

 「成せる善は全て成す」

ただ、人は100%ではないのでできない自分もよしとするようにしています。

 「世界に変化を望むのであれば自らが変化となれ」
 「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように生きよ。」
マハトマ・ガンジーの言葉です。

こうした事を意識していると生き方がぜんぜん違ってきます。人はどこかで必ず死にます。なので今を一生懸命生ききれという事です。目標目的を持って生きるのもいいのですが、大抵うまくいかないものです。いろんなものを一生懸命やって、楽しいと思うことを突き詰めると点と点が面になる瞬間がやってきます。

一人が起こす嵐ではなく、そよかぜでいいのです。
そよかぜでも1億2000万人がやればこの国はがらっと変わります。

もう一つは有名なスティーブ・ジョブズのスピーチからです。


スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版 - YouTube

直感に生きる。どこかでつながることを信じて生きると、後から振り返った時に一本の道ができています。奇跡に近い自らの命を信じるという内容なのですが数年前に聞いた時はすごさがわからなかったのが最近すごいと思うようになりました。

私はまだ発展途上の人間ですが、金融を通じて祈りを捧げる生き方をしています。

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