いい投資探検日誌(from 八女)

しあわせをふやす いいお金の使い方を考えています。サステナブル投資家。2017年に新所沢から八女に移住しました。週末は一口馬主を楽しんでます。

大人の社会科見学(夏休み特別編)in飛騨古川 参加レポート Vol.4 大久保寛司&竹本吉輝トークセッション

NPO法人いい会社をふやしましょう主催の大人の社会科見学 in 飛騨古川の最後はトビムシの代表 竹本吉輝さんと人と経営研究所 所長の大久保寛司さんのトークセッションでした。

行程:大人の社会科見学(夏休み特別編)in 飛騨古川 (2016年8月10日)

株式会社飛騨の森でクマは踊るの誕生秘話から始まり、トビムシが森と地域再生を手がける岡山県西粟倉村での取り組み、トビムシを支援する鎌倉投信、そして奥さんが林業会社の社長という炭焼き職人の原伸助さんのお話というバラエティに富んだ内容でした。

竹本さんが話していた信頼のベースがあるところに信用が生まれるというのは本質だと思いました。信頼というベースがないところに他の地方での成功例をコピーして持ってきても根付きません。鎌倉投信がベンチャー企業に金融として信用をつけるというのも信頼があってこそですが、そこはとても大切なことだと思います。


トビムシ 代表の竹本吉輝さん(左)と人と経営研究所 所長の大久保寛司さん(右)

飛騨の森でクマは踊る(ヒダクマ)誕生について

大久保:
どのような経緯でこの建物を譲ってもらったのですか?

竹本:
この家は元々この街で一番の旦那さんの家だったのですが維持していくのが難しく、壊して駐車場にでもしようかという話もありました。そんな街の人にとっても思い入れのある家を外から来た会社に譲るというのは難しい話です。

この会社は飛騨市からキャッシュで50%、更に森を出資いただいたので50数%が飛騨市の持ち分で一般的な会社で言えば飛騨市の子会社のようなものです。もちろん飛騨市は民間企業ではないので実際は子会社というわけではありませんが飛騨市が一番の株主になります。

市有林は最初から市の持ち物だったわけでなく、税金を物納したり地元の森を付託したという事情が多く、地元の色んな人から預かった大切な森です。そんな大切な森を現物出資するというのも大変な話でこの街の将来のためという事業目的があり、森も含めて飛騨市が一番出資している、そこまでの想いでやっている会社であれば家主さんからすればぎりぎりご先祖様に顔向けできるという事だったと思います。

とにかく家主さんからすればこの空間を街の皆さんに知ってもらいたいという事でしたのでカフェスペースにして気軽に入れるようにしました。

大久保:
よく市が出資してくれましたね。そこのご縁は?

竹本:
第三セクターというのは自治体が出資して民間企業が出資した公でも民間企業でもない第三のセクターというのを意味しますが、事業としてほとんどうまくいっていないのが実態です。

これは第三セクターが悪いのでは無く、出社するわけでもない首長が形式上社長で、事業による損失を補填する仕組みを自治体が予算計上して出してくれるので損失を解消しようという力学が働かないのが問題です。

ヒダクマを創設する時、飛騨市でも7つか8つの第三セクターを解散させているんです。当時の前の市長が始めた第三セクターだったとは言え意思決定は市政の責任になります。それを失敗しましたと言っている時に新しい第三セクターを作るというのはありえない状況でした。

前市長が第三セクターが良い悪いではなく、飛騨に必要な事業であれば積極的に関わっていきましょう、必要のない事業は止めましょうと言ってくださったのですが、すごいご決断だと思います。議会での説明を含めて袋だたきにあうのはわかっているわけです。まずその責任をとりなさい、新しいのはその後にしなさいと言われる中で「これは必要ないからやめます。これは必要だからやります。」と言いました。これは一見正しいことですが、行政でこれをするのは大変なことです。

大久保:
その市長にコンセプトを話したのはどのような経緯で?

竹本:
松本が地ならしをしました。

大久保:
あなたが市長を説得したの?どんな地ならししたの?

松本:

飛騨市の担当者から相談を受けたんです。飛騨市も市長や副市長が海士町、上勝町に視察に行ってみて外から人を呼んで成功しているらしいので飛騨市も地方創生で盛り上がるような制度を作りなさいと言われたのです。

飛騨市の場合ちょっと遅れていてブームが去った後くらいにこれからやらないといけない事になったけれども、そんな事をしてもいきなりできないし、できても地域を救うことにはならないですよねって相談をうけたんです。

やりなさいと言われたからやらないといけないけれども、だったらこの地域のためになる事を提案したいので西粟倉のような考え方を飛騨市でやれる可能性があるんではないかと、当時はまだ肩書きもないのに西粟倉に視察に来ていただいて、トビムシと一緒にやる事を説得してくれました。


飛騨の森でクマは踊る 取締役 松本剛さん(右) 

大久保:
期間はどのくらい?

松本:
実質話があって2ヶ月、仕事をいただいてからヒダクマ創立まで1年なかったくらいです。

大久保:
早い。例外だね。

竹本:
その後今度は色んな自治体が飛騨市に視察に来るようになりましたが、例えば福岡県のある自治体の人はうちには彼のような担当者がいないと言い、終いには彼をここから連れ出せばいいんじゃないかとまで(笑)そのくらい公務員としては珍しい存在です。

大久保:
大変だったろうね。

松本:
トビムシを上司や議会に説明するのが大変だったそうです。

竹本:
当時私は海士町に住んでいたのですが、海士町の商品開発についてあの成功事例ってどうなんですかと上司の方に聞かれました。長期的に成立しているのか、地元にお金が落ちているのか、商品開発ではなく価値を生み出し続ける仕組みをつくらないといけないですよねという話を担当者と松本が話してくれた結果、市長がやる気を出して下さったんです。

市長がやる気になると今度は副市長はブレーキの役割ですのでそんなことは本当にできるのかと冷静にチェックして下さいます。最終的に副市長には渋谷のFabCafeに実際に来ていただくことになりました。NHKのプロフェッショナルにも出た新井さんが渋谷のFabCafeに来て、こういう会社が地域に必要でそんなトビムシを鎌倉投信も応援しているんですと市長、副市長に言ってくれたんです。

FabCafeを運営しているロフトワークという世界中のクリエーターとも繋がっている会社の代表ともお話して、こういう人であれば一緒にやるのもありだとその日のうちに意思決定してくださいました。

大久保:
それで半分出資、さらに物納になったと。

竹本:
市が森を出資することについても前例がないか調べて欲しいと言われました。前例があったら説得しやすいという事で丁寧に調べて下さったのですが、やっぱり前例がなくて大変だったようです。

大久保:
ずっと一緒にやってこられて市の担当者さんに対してどこらへんに気配りをしていましたか?彼が萎えたりずれたらだめですよね。

松本:
もともと飛騨に6年前に来ました。トビムシがいろんな地域で仕事をしている中で高山市で仕事をいただいて、個人的な事情もあって飛騨で仕事をしたいとお願いしたんです。

竹本:
飛騨でやりたいと彼が言ったんです。

松本:
その時は飛騨市に住みながら高山市の事業をしていて、飛騨市の担当者さんとは個人的に関わっていたボランティア活動の中で知り合いました。飛騨市の地方創生について相談を受ける中で仕事として受けて下さいと言われたんです。個人的には仕事にしたくなかったのですが・・・

竹本:
代表の前でよく言うね(笑)

松本:
辛いことも結構あるので仕事の場と生活の場は離したかったんです。新しいことをするという事は今までやってきた方をある程度否定することにもなりますから。

僕は余所者ですから最悪いなくなることもありますが、彼は東京者に騙されて天下り先を作っていると言われながらも頑張ってくれました。彼がヒダクマを作っても公務員にはリスクでしかないんです。それでもやるという事を通じ合って、特になにかしたというより積み上げた結果ですね。

大久保:
役所の人はいいことをしてもプラスに評価されることがないんです。でもマイナスは×がつきます。だからリスクを取りたがらないんです。担当者さんの想いですね。

国主導でやってうまくいったことはほとんど無いですから。理由は簡単でそこに人がいないから。一番キーになるのはベースづくりで、担当者さんと松本さんとの信頼関係、これなんですよ。

ベースづくりがないところで視察にいくと上しか見えません。家をつくるのもそうですが土台が大事です。そこに信頼関係が築けて腹をくくれたという事でしょうね。

松本:
実は他のコンサルが既に入っていて、コンサルはもうこりごりという状況もありました。その中で私個人がというのではなく、トビムシはよくわからないけどただのコンサルではないと思っていただけました。

西粟倉でやっているのを実際に見てみると成功例とは言われながらも経営上は大変な状況だったんです。それでもトビムシは地域の中で必死にやっていて、なぜ彼らはこんなに苦労しているのかと。苦労しているありのままを見ていただきました。

大久保:
それでトビムシは姿勢が違うと。

松本:
他の地域でやってきたことがコンサルとの対比で評価されました。

大久保:
本気になって最後までやってくれると。だったら賭けてみようという事ですね。

竹本:
私たちも信頼関係がベースに無いと地域に入る事はできません。信頼できる人がそこにいるからここまで出来るというのもあります。

西粟倉・森の学校について

大久保:
西粟倉の事を知らない方もいらっしゃると思うので、まず簡単に西粟倉の話をお願いします。

竹本:
岡山県西粟倉村は人口1500人の村でトビムシが創業して7年半ですが、7年前にそこで第三セクターを始めました。それが西粟倉・森の学校です。

西粟倉村は面積の9割弱が森で、森の9割弱が針葉樹という新緑の時期も紅葉の時期も深緑で日本の四季折々の風景はないようなところです。前の村長がとにかく合併をする、しないの中で合併しないことを選択しました。

大企業も無く、事業税も入らない何も収入源が無い中で村にあるのは木しかないという事なんです。農業と言っても平地が少ないので親戚に配るくらいしか収穫できません。
だったら林業を本気でやるしかないよねと追い詰められたとも覚悟したとも言えます。
そんな中と西粟倉村とトビムシが一緒にやっていきましょうという事になって、成功事例と言われつつ今も大変なんです。

新井さんの前でこんな事を言うのもなんですが10回以上は倒産してもおかしくありませんでした。息をしているだけでお金が蒸発していくような状態で、それでも支えていただいて今のところ一定の事業で成功しています。

スギやヒノキを使ってうまく商品化して山にお金を戻そうというもので山に手を入れたいけどお金を返せないないからそのままにしておくというのを少しずつゴゴッ、ゴゴゴゴ、ゴロ、ゴロゴロと。

間伐面積は最初の200haから1200haへ6倍になりました。半分くらいは信頼、残りはお金が返ってくるという結果を見て参加いただいています。

大久保:
戦後日本は国を挙げて植林をすることで森林大国になりました。森が鬱蒼としているのはあれ以上太くならないからでなぜ太くならないかというと間伐しても手間賃も出ないような状況だからです。

日本は森林に関しては資源大国だけれども生かせるかどうかの瀬戸際でこのままでは日本の森林資源を生かす事はできないんだと竹本さんに聞くまでそうした発想は私もありませんでした。

そして西粟倉村にも森を生かす発想はなかったのですが、短いものは最後は割り箸にして、割り箸を作る機械も自分たちで作ってしまいました。製材所もみんな素人でこの中にプロはいないという人たちが集まってやってきました。

ヒノキで家具を作る大島さんという職人さんがいるのですが、家具を作るには堅い木でないといけないという事で檜なんてありえないという世界でした。それでも1年かけて最後は古文書をひも解いて檜の家具を作ることに成功したんです。

竹本:
日本の家具は欧州から来ているのでどうしても欧州の木で作る設計になっています。
そうすると日本の木でつくった家具の作り方というのは古文書レベルにしか書かれていないんです。

大久保:
そうして結局作っちゃったんだけれども、大島さんの面白いところはなぜそこまでしてやったのですか?という質問に「じいちゃんの口癖が人間やってやれないことはないだったんです。」と答えたところです。大島さんの作る檜の家具はちゃぶ台が9万8千円します。イケアだと1桁違うと思いますが、それでも受注残がたくさんあります。みんな欲しくて製造が追いつかないんです。

新井さんがみんなを連れて行くんです。そうしたらみんな感動して買っちゃう。そういえば西粟倉は婚活もやってましたし、天然うなぎのツアーもありました。

実際に行ったらどじょうに毛がはえたくらいの大きさの天然ウナギが一匹だけで・・・参加者みんなに行きわたるのかってくらいの大きさでしたが、ほんの小さな切れ端をいただきました。でも鹿肉がものすごく美味しかった。

竹本:
サブタイトルに天然うなぎツアーと書かれていたので旅行業的には瑕疵担保責任が・・・(笑)
印象的だったのは現地の代表の牧が夕食の時に天然うなぎが獲れなかったので「これから行って参ります」と決死の覚悟で出かけて行ったんです。結局小さなうなぎが一匹だけだったんですけど、すっぽんも仕掛けに入っててすっぽんツアーでもいいかと話していたらすっぽんはしっかり砂抜きしないと美味しくないのでこれは別の方に食べていただきます。皆さんは見るだけです。と妙にまじめで(笑)

天然うなぎは結局どうにか食べていただけたんですが、旅行業として考えるとどうでしょうね。

大久保:
西粟倉には地権者が何人いらしたんですか?

竹本:
ほぼ世帯数と同じなので500人です。

大久保:
森の手入れをしようと思ったら全員の賛同をとらないとできないんです。切った木を搬出しようと思っても全員が賛同しないと俺のところを通るなという事になって、結局誰もできなかったんです。

竹本:
最初は200haくらいから始まりましたがここでも2:6:2の法則がありました。心底賛成して下さる方が2割に徹底して反対される方が2割、残りは様子見という方たちです。

結果を出すと様子見の人も徐々に賛同して下さるようになりました。過去の実績が大切です。信用が増えていくためには最初に信頼してくださっていた方たちが必要なんです。

大久保:
信頼がベースにあって信用が生まれる。これは名言ですよ。

竹本:
最初にそういう方々がいて今は1200haまで広がりました。
面積が広くなるとより一層林業の効率があがっていきます。

トビムシ創業のきっかけ

大久保:
竹本さんはなぜ林業に携わるようになったんですか?

竹本:
トビムシを創業する前、90年代後半から2005年くらいまでは法律をつくるのが専門で環境法の仕事をしていました。日本はかつて公害国会から公害立法という風に規制を作って環境破壊を止めようという動きだったのですが、90年代に入ると環境や循環、生態系を守ろうという流れに変わりました。環境を人が関わる事で良くしようとなったのです。

97年の京都議定書をきっかけに日本人に普通に「環境」という言葉が使われ始めるようになり、日本で環境法をつくらないければいけなくなりました。法律を勉強している人のうち、憲法や行政法を勉強した人はだいたい公務員か学者になるためこの分野の専門家が民間セクターにはほとんどいませんでした。そこで、法律作りを受託できる人間が世の中にいなかったこともあってほとんどの環境立法に関わってきました。

5年くらいは官僚達と一緒に経団連などにいってこの法律が出来ても経済活動には影響ありませんと説明したりしていたんです。それが2005年くらいに官僚から里山保全法をつくりたいと言われて違和感を感じました。

里山は人が生活の営みの中で関わる中で生まれる風景であって規制してできるものではないんです。生活があって初めてできるのにそれを規制しようとする動きにいよいよ法律で整えるフェーズは終わったんだと思いました。官僚はとにかく法律を作りたいんです。これからは環境に人が関わらないとダメになっていく段階になったんだと思い、そういう会社に転職しようとしたらなかったので独立しました。

大久保:
その時竹本さんは結婚していたんですか?
奥さんはなんと言いました?

竹本:
当時の記憶をねつ造してるかもしれないんですが、やっていることが変らないんです。

こういう事をやっている、やりたいんだと僕が伝える事は変わっていないので会社を辞めた、会社を起こしたというのはそれなりにインパクトのある話だったと思いますが、この流れには購えないという流れはあったんじゃないかと勝手に思います。

鎌倉投信とトビムシ

大久保:
私はこういう風に思っているんです。日本の森林を活性化できるか分かれ道にきている。行くべきあるべき方向に歩んだ数少ない人間なんです。日本にとって宝だなと思いました。いろんな領域に宝がいるんです。

耕作放棄地をなんとかしようとしているマイファームの西辻さんもそうだし、日本の障がい者を雇用しようと頑張っている人もいるしそれぞれが必須不可欠です。でも現実にビジネスとしてやっていくのは大変なんです。さっき10回は倒産したかもと話していたのは大げさな話じゃないんです。

鎌倉投信はいろんなお客さんからお金を預かってこういう会社に融資をするのが一つの役割なんです。(注:鎌倉投信はトビムシの社債に投資しています)

でも普通はこういう会社には融資をしません。戻らないのがわかっているから。無理だなと。

竹本:
無理ではなく難しいと・・・

大久保:
まあ、あの表現の方がわかりやすかなと。この会社に融資を決めた人がいるんです。新井さんです。もしうまくいかないとあなたは大変な非難を受けるわけですよね。新井さん、出会いと意思決定した理由を紹介してください。

新井:
まず他の会社さんを選ぶ時もそうなんですけど。何をするかより誰がやるかの方が大事です。そこに人がいるわけです。竹本さんもそうですし、投資をするにあたって社長だけでは決められないんです。社員とも個別に面談するんです。そこまでの覚悟はあるのか、辞めないか。給料安いですし。松本さんにしても絶対辞めないなと思うのが大事です。

あとはうちはリターンの定義を変えてしまっているのでお金のリターンだけでなく豊かな社会を作るのとそれによる心の形成のかけ算をリターンにしています。お金のリターンを最大化するんじゃなくお客様のリスクを小さくすることに技術を使っています。

そういう社会にならないことこそがリスクなんです。投資していただいたお客様への裏切りなんです。お客様にいったのはこの会社がつぶれても基準価額15,000円のうちたった200円しか下がらないんです。でもこの会社がなくなったら日本の林業再生が終わるんです。それが説得できる。なぜならうちのお客様は日本で一番素晴らしいからです。


鎌倉投信 取締役・資産運用部部長 新井和宏さん(右)

大久保:
これを受益者総会で話すんです。通常はもっと運用益出せとか金よこせという話になるけど、彼は簡単にいうと申し訳ないけどあんたたちのお金はなくなるかもしれないけど勘弁してくれと。その時に大拍手。泣いてる人もいた。投信会社でこの発想している人はいないんです。

この二人に共通しているのは何か、竹本さんは林業再生のために飛び出した。新井さんは外資系金融機関を飛び出した。外資系金融機関にいるときは日本で一番お金を扱っていた運用業界でトップ中のトップだったんです。その人間がわけわかんないことを始めた。

知り合いからバカ、やめとけ、何考えてるんだ失敗するに決まってるじゃないか。全部否定されているんです。ただ私の知っている限り何か始めようとしたときに全員賛成するのはだいたい大したことがないんです。ダメだ、無理だ、バカ、何考えてるんだなどだいたい5つ以上揃わないとだめなんです。ジョークのように話しましたが物事の本質です。

5年後、10年後を見通せる人は少ないので多くの方は目の前のメリットのある正しいと思うことに目が行くけれどもこの人達は違うんです。

あの時の京都でお前らのお金は無くなるかもしれないけどいいんだと融資の総責任者が言う、言い換えればお前らのお金がなくなってもいいんだと言ったのに喜ぶという、あり得ないよね。完全にワケのわからない集団が今も増え続けているんです。

プロフェッショナルという番組には世界は職人やドクターなど色んな人が出ていますが金融の世界で出た人はいないんです。金融の世界で取り上げられるようなことをやってる人がいないものでプロデューサーは最初で最後かもしれないと話していました。その時、トビムシが途中でなんとかなったと話したんですよね。

新井:
2年前の京都の受益者総会でようやく単月黒字になったと報告しました。

大久保:
単月黒字です。累積じゃないんですよ、単月ですよ。過去はマイナスです。

竹本:
単年度でもなく単月です。

大久保:
1ヶ月だけ黒字になったと聞いてみんな「おーっ」となるんです。あの拍手は凄かったよね。

新井:
あの拍手はすごかったですね。皆さんの思いが本当に拍手の中に詰まってました。

大久保:

よく融資しましたよね。この間他にもそういう会社に行きましたけど。

新井:
ぼくらはいい会社に投資しましょうじゃないんです。いい会社をふやしましょうなんです。

増やさないと社会は豊かにならないから。僕らがあきらめちゃだめなんです。彼らがあきらめていないのに僕らは融資して信用をつけないといけないんです。銀行は本当は与信をするのに信用を与えないといけないのに僕らが出来るのは信用をつけることです。

この人達はベンチャーだけど間違いない。それは本来金融がやるべき行為であって信じることだけです。

竹本:
さらりとおっしゃいましたが通常、信用があるところにつけるのが金融です。信用がないところにつけてくれるのは新井さんしか知らないんです。

信用があるから融資するのが金融で信用をつけるのは事業者がなんとか死にものぐるいになって信頼のレバレッジをかけて少しずつやるのに新井さんは金融でありながら金融機関としてつけてくれるんです。

大久保:
日本株に投資する投信というのは何百本もあるんです。2013年、そんな事をやってて儲かるかと言われていたのに投信の中で最高の評価をうけたんです。リターンがきっちり出たんです。金融の世界で奇跡です。いまだにああだこうだ言っている人はいます。でもやり続ける。この人の目利きはすごい。あとは何より人間性ですね。竹本さんに賭けたんだから。

竹本:
あの・・・うちだけに投資してくれてるわけでないので。その責任は背負えない(笑)

色んなところに先ほどの方々のような素晴らしい会社から素晴らしいことをやろうとしている会社まで投資しています。

原伸助さんと柳沢林業

大久保:

新井さんとご縁をいただいたおかげで素晴らしい輪が広がっているか。この人も日本にこんな人は一人しかいないなと。とんでもなく面白い人間がいるので伸助さんちょっと話をしてくれますか。奥さんの話をしてください。今日は林業ですから。

原:
かみさん(=原 薫さん)のことを人に紹介するのにこの人は日本の宝だと話してはばかりません。かみさんはずっと林業をやってきた人間なんですが、もともとは林業ではなく大学の時は生物化学が専門だったんです。そこから1冊の本が人生を変えるということがあるってよくいいますが教員免許をとるつもりで図書館通いしているときに『木を読む』と出会いました。

今日は皆さん製材所に行ったので丸太がすごい早さで板になっていくのを見ましたよね。むかしは大きなのこぎりで職人が一本一本切っていたんです。モクをどう出すか墨付けが一番難しいんです。中が見えないのにどこを切れば一番いいモクをだすか、値段が10倍20倍違うので、まっすぐひかないといけないそういう職人さんの聞き書きにたまたま出会って。かみさんは川﨑出身で僕は横須賀出身で二人とも神奈川出身ですが信州で出会ったんです。

環境問題に興味があってもやもやしているときに木を扱う職人っていいなと思ってがらっと変わって大学は筑波だったんですが演習林で何かできる事はないか問い合わせて、技官さんに使って欲しいといわれてここは女の仕事はねぇって門前払いされたんだけど試しに使ってみて欲しいと使ってもらったら使えたんです。体力がものすごくある人だったんです。

静岡の井川に一人暮らしを初めて技官さんに弟子入りして最初は女を山に行かせるわけにいかないと事務の仕事で採用されたんですが、現場に行っているうちに面白くなっちゃって現場のじいちゃん達もこの姉ちゃん使えるってことになって、面白いのは太陽の出ている時は山の仕事をして夜は事務の仕事をしていたんです。そのくらいガッツと体力があったんでしょう。

山で生きる術として山菜採りや冬場は狩猟をやって現場では大正生まれの世代に鍛えられました。彼らはチェンソーを使わない最後の世代なんです。そういう環境で山仕事が楽しくなって木は切れるようになったけれども山づくりはわからないと。彼女なりに調べてみたらちょうど信州大学に地下足袋をはいた教授と呼ばれた島崎先生がいらしたんです。僕が唯一かっこいいと思った先生です。僕は森林科学科を出てるんですけど理屈ばっかりなんですよ。普通は。じゃあ立派なことを言ってるけど切れないんですよ。木は切れないけど木のことを教えていると。

僕自身も忸怩たる想いがあったが島崎先生だけは違ったんです。その先生のことをかみさんが知って是非理論を学びたいと信州に来たんです。そこで僕と出会ってしまって、僕はあった瞬間に思ったんです。即戦力だと。最初はただの女子大生だと思ったけど話を聞いたら林業やってるの、重機も扱えるのとだんだん頭が下がってきて。


炭師の原伸助さん(右)

大久保:
今まで手で山の中に炭焼きの道を作っていたから重機を使える=使えるってなったんですね。

原:
そうなんです。すぐに飲みに行きませんかって誘ったらむげに断られたんです。後で当日はないだろって言ってましたけど(笑)

なんとかしてこの人をうまくしなくちゃいけないと、この人は山が好きだから今度は山に来て下さいと誘ったんです。そしたら僕が重機の免許も持たずに道を作ったことに興味をもって「この道はどうやって作ったんです?」と聞かれたので「ツルハシとスコップです」と答えたら「えっ」となって、「この窯は?」「一輪車で土を運んで」「ええっ」とだんだん尊敬のまなざしに変わっていったんです。

とどめを刺したのは「私は山づくりをやりたい。女性で木が切れるという事で注目されちゃうけどそんな事をやりたいわけじゃない。本当に山づくりをしたいんだと。」と言われたので「ここで一緒に山づくりをしたらいいじゃないですか」と言ったんです。遠回しな口説き文句ですよね。欺されたと言ってますけど、一緒にやるようになったんです。

大久保:
一緒になって今はなんていう会社でしたっけ?

原:
柳沢林業という会社の社長になって4年目です。

大久保:
奥さんが前の社長さんに「お前がやってくれ」と頼まれて社長になられたんですよね。周りの社員は男性ばかりでしたよね。

原:
社長になった当時は男性ばかりでしたが今は女性も増えました。

大久保:
この間話してて面白いなと思ったのはこの木使えるなと思っても山から下ろして来れないんですよね。奥まで重機を入れる事ができない。でも日本人は実は馬で木を下ろすことをやっていたんです。それで馬でやればいいんだと気づいたと話していました。

原:
ちょっと前に突然、あなた明日から馬主だからと言われたんです。馬を飼うことにしたと。皆さんご存じのように日本中で松枯れが凄いんですけど、かみさん曰くいい木から枯れていくから早く切らないといけないんだけど松の木1本を出そうとして重機を入れると採算が取れない。

でも、馬だったら道をつくる必要が無い。もともと日本人はやっていた馬搬という方法を継承者があまりいないので岩手県まで行って教えていただきました。今朝も僕は馬に餌をやってから来ました。ばんえい競馬でやっていた馬がなぜかうちにいるんですけど、最初は会社で飼うって話だったんですが会長のGoが出なくてじゃあうちで飼って会社に貸し出すってことになりました。

大久保:
ちょっと簡単に飼えるものじゃないですよね。相当面倒みないといけないし、人間以上に繊細です。話は変わりますが竹本さん、ヒダクマについて感想を聞かせて下さい。

原:
どっかでいつか接点はあるんだろうなと思いながら2回くらい飲んだだけでした。法律の方からというのは異色でもあり、頼もしい思いもあります。ヒダクマの松本さんは僕の後輩でもあるんです。あんな風体ですが、今日は話を聞いて感動しましたね。

大久保:
人は見かけによらないでしょう(笑)

原:
高山という街は個人的に日本で一番好きな街で年間5回以上来ているんです。なにか関われたらと思ってましたが、先ほど田中さん自宅を見て、かみさんが来ていたら相当興奮して見ていたと思います。地元の材を出すということでカラマツをどうにかしようとやっているのでうまいこと情報交換できればと思いました。

大久保:
彼は原伸助というのですが、炭焼き職人として著書も色々あります。日本で奥さん木こり、旦那炭焼きという唯一のカップルです。

エコとかサステナブルといっていますが炭焼きはずっとサステナブルなんです。切っても20年たったらもう一度生えてき健康にいいのはご承知の通り。その炭を無くすのは日本の文化を無くすことなんです。非常に珍しい人です。

竹本:
炭って何の木でつくってるんですか?

原:
樹種はコナラとクヌギです。

竹本:
萩焼が好きなんですが、先日萩焼の釉薬をつくるのに稲わらの灰とクヌギだけで炭をつくったピュアな灰じゃないといけないと聞きました。日本中に木があってナラもクヌギもあるのにピュアな灰が手に入らないと、十何代も続いている釉薬づくりをしている方が大変だとおっしゃっているんです。

飛騨で竹本さん何かされるんですよねと相談を受けて、僕ら灰とかやっていないんですけどと話してましたが、これは自分達で釉薬を作っている人達共通の課題だと思うんです。

原:
売るほどありますね(笑)

竹本:
いつも馬鹿話しかしてなくてどの樹種を使っているのか聞いた事も無かったですが、この件は今度建設的に相談させてください。

大久保:
結構面白い人間が並んでいたことはおわかりいただけたと思います。ちょうど時間も来たのでこれで終わりたいと思います。