いい投資探検日誌(from 八女)

しあわせをふやす いいお金の使い方を考えています。2017年に所沢から八女に移住しました。

「支援し合う」関係に、”ゆっくり、いそげ”/本日のスープ55皿目

『本日のスープ 〜株式投資をめぐる三重奏〜』 55皿目はrennyさんからの寄稿です。

前回のまろさんの「投資リターンは人生のオマケ/本日のスープ54皿目」を受けてのエッセーになっているか、甚だ心もとないのですが、その点は御許しください。

このリレーエッセーのメンバー、m@さんのブログからです。

ゆっくり、いそげ 紀伊國屋書店トークライブで影山知明さんのお話を聞いてきました - "いい投資"探検日誌 from 新所沢

これを拝読して、影山知明さんの『ゆっくり、いそげ』を買い求めました。
この本が非常に印象の強い本だったのですが、その前に。

xx年度には、利益 yy億円。

まずは「数字」。
ほとんどそれのみ、というわけではないのですが、とにもかくにも「数字」。
xx年度までの時間を考慮して、その時間をかけて世の中に贈り届けたい「何か」、が語られたことはただの一度も無かったように思います、この数年間。そんな上司は一人もいませんでした。これは断言できます。
もしかしたら、そんなことを問いかける人が会社の内外に一人もいないからかもしれません。
これが私の勤務先の有様です。

私の勤務先は極端なのかもしれませんが、ほとんどの上場企業は似たり寄ったりなのではないか、そう思っています。上場企業は社会の公器と呼ばれてきたし、CSRという言葉(だけ)は頻りに聞かれるようになったけれども。

財務、会計上の「利益」でしか、社外の人たち、特に投資家は評価してくれない、おそらく会社は、経営者は、そう考えているのでしょう。株式市場、その周辺においては、「利益しか見ない、興味が無い」そんな考えの投資家が世の中の圧倒的多数、それが前提。

投資家と会社との関係は「利用し合う」関係。

『ゆっくり、いそげ』では、「利用し合う」関係というキーワードが登場します。双方にとって利用価値があるからこそ成立する関係です。会社、経営者と投資家とは、お互い「利用し合う」ものだ、それを株式市場に関わる人たちのほぼすべてが暗黙の了解として受け入れている。。。

でも、この暗黙の了解は前提として適切なのでしょうか。

体全体、徹頭徹尾「利益しか見ない」という考えに占められている投資家もいるにはいるでしょう。でも、頭の片隅、心のどこかで「短期的な利益だけでなく、長期的な目線で、投資している会社が贈り届けてくれる(かもしれない)何か」を評価したい、未来にステキな何かを贈ろうとしている会社を「支援したい」そんな考えを持っている投資家も相当数いるんじゃないか、そう思っています。

投資家と会社との「支援し合う」関係。

『ゆっくり、いそげ』では、「支援し合う」関係 もキーワードの一つです。株式投資を通じて、会社、経営者と投資家との間に「支援し合う」関係を育てることもできるんじゃないか、私はそう感じています。
『ゆっくり、いそげ』で指摘されていますが、多くの人は「消費者的」でありながら「受贈者的」である、と。(「消費者的」「受贈者的」については、ぜひ本で読んでみてください) であれば、「受贈者として振る舞うこと」、つまり、「支援し合う」ことに関心を寄せる投資家は「少数」ではないはずと想像しています。

そして、もう一つ忘れてはいけないこと。
株式投資を通じて、未来にステキな何かを贈ろうとしている会社を支援したい、そんな想いを贈ることが可能だということにまだ全然気づいていない人たちも「多数」いるのではないか、ということ。

「支援し合う」という考えをもった投資家が「ちょっとした多数」になったりしたら、株式市場はもちろん、世の中が変わるんじゃないか、そんな考えを膨らまされました。 投資を通じて、会社、経営者と投資家が「支援し合う」関係、簡単な話ではないとは思いますが、そこに何か大きな可能性を私は感じています。
 

 

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